マチカネキンノホシの引退後

●マチカネキンノホシの引退後

ひっそりとした再スタート

2002年12月20H、マチカネキンノホシの登録が抹消された。02年夏の札幌記念で不可解なしんがり負けを喫して以来、その動向が話題になる機会がないままの引退だった。『オーナーの待兼牧場で種牡馬になると報じられたが、その良血に着HしたH高軽種馬農協(以降HBA)門別種馬場が導入を決め、スタリオン入りが決まった。キンノホシを担当する山口幸敏場長は、「若駒の頃から走る馬だと思って見ていた1頭だよ。重伐勝ちは2つだけだが、競走成績も水準以上だし、能力はかなりのものがあると思う。それに何といっても血統的な魅力が大きいね」山口場長は日高農協の各地の種馬場で多くの種牡馬を手がけてきたベ
テラン。浦河ではトウショウボーイを担当し、モンテプリンスが引退するときは美浦まで迎えに行った。到着したキンノホシを見た印象は、「大柄な馬だとは思っていたけど、想像以上に身体も大きいし、骨益もある。気性もキツいところがあるし、一癖あるタイプだよ。だからこそいい種牡馬になると思うけどね」というもの。門別の種馬場へ移って今年で6年目を迎えた腕利きの言葉には、キンノホシヘの大きな期待と深い愛情が込められている。
奥の深い良血ぶり
山口場長も注目しているキンノホシの「良血」ぶりは、実はかなり奥が深い。父のシアトルスルーは米国競馬史上初の無敗の3冠馬で年度代表馬。84年には北米リーディングサイアーになるなど、種牡馬実績も申し分ない。日本でもタイキプ
リザードやダンツシアトルなどの活躍馬を出している。栂のアリスベルは米2冠、BCクラシックなどGIを9勝した年度代表馬で、伐金王にもなったアリシーバの全妹で自身もステークスウィナー。爵の父は3冠全てでアファームドの2着に敗れたアリダーだが、その種牡馬成績は秀逸で、代表産駒はアリシーバのほか、SSのライバルだったイージーゴーアー。クリミナルタイプ、カコイーシーズ、リンドシェーバーなど、輸入された直仔種牡馬も多い。舟の父としても凱旋門賞馬パントルセレブル、BCクラシックのキャットシーフなどを甜出している良血の輝きを星にたとえるならば、まさに「キンノホシ」と呼ぶべき名血の結晶である。

新馬勝ちの呪縛

アメリカで購入されたキンノホシは、アイルランドで育成されて2歳の春にH本に到着、待兼牧場を経て美浦へ移った。•リーディングトレーナー•藤沢和雄厩舎のマル外良血馬。馬っぷりも調教の動きも申し分なかったキンノホシは、98年5回東京の2週目、芝l9戦に出走して断然人気に推されたが、出遅れてポツンと離れた最後方を追走。4コーナーで馬群に取りつくと、1頭だけ33秒台の末脚を繰り出して後続を3馬身半ちぎり捨てた。「サラブレッドの手本のような馬体」、「素直で乗り味がいい」という評判通りの派手なデビューで、「これは大物だ」と誰もが思った。ところがダートに替わった昇級戦では内にモタれ、朝日杯では馬群をさばききれず、ラジオたんば杯では勝ったアドマイヤベガと同じような位置でレースを進めたものの、ゴール前で突き放された。NZTは道悪で大敗。NHKマイルカップで素質は示したが、ラジオたんぱ箕では見せ場も作れないなど、ちぐはぐなレースが続いた。負けても負けても人気になったのは、新馬戦の勝ちっぷりが強烈だったからだ。「こんなはずではない」「この相手なら」、……そう思うファンにようやく応えた2勝目は有馬記念の前H。あのデビュ
ー戦の初勝利から1年以上が経っていた。4歳緒戦のAJCCでステイゴールドを退けて初重賞制覇。目黒記念はステイのリベンジに屈したが、凱旋門代登録、僚馬スティンガーとの米国遠征プランも持ち上がった。宝塚記念の凡走で遠征話は立ち消えになったが、アルゼンチン共和国杯ではトップハンデを克服、3番手から直線抜け出す進境を見せて快勝した。その後もH経賞はメイショウドトウと叩き合って2着、京都記念はナリタトップロードに頭差まで迫る2着など、一線級と互角の底力は示している。

リベンジヘの期待

キンノホシの場合、能力はあるか、自分からレースをやめてしまったり、闘争心がかみ合わずにリズムを崩すなど、精神面の課題が大成を阻んだと見られている。こうした気性の激しさ、難しさは、時として闘争心に転化されるため、ハマった時の強さと負けるときの脆さの落怪が大きい。コンスタントに能力を発揮するという意味ではマイナスだが、種牡馬としてはそれほど問題にはならないのではないだろうか。ゴーカイの放牧地の左側を少し下ったところにあるキンノホシの放牧地は、広い窪地のようになっていて、夏の陽射しをさえぎる大きな木が数本植わっている。柵に近寄ると、何しに来たのかというように突進するフリをするキンノホシからは気性の強さとプライドの高さが感じられる。キンノホシは最後に勝ってから2年を経てのス

ヤシマソブリンの引退後

●ヤシマソブリンの引退後

仰大なる3冠馬の陰に隠れ、なかなか実力を評価されない馬たちもいたあの年、ナリタプライアンの同級生として頑張ったヤシマソブリンは、2002年の秋、故郷である三石橋本牧場に戻ってきた。「あれだけ頑張ってくれた馬だもの。うちで面倒見なくちゃね。牧場孝行な馬だもの……」日高は今、一番牧草を刈るシーズンに人ったばかり。牧場主の橋本義次さんも、牧草作業の真っ最中のところを、手を休めて話してくれた。ヤシマソブリンの様エゾミドリは縁あって16歳の時に橋本さんの牧場に来たそうだ。 続きを読む »

ヤマニンゼファーの引退後

●ヤマニンゼファーの引退後

ヤマニンゼファーを担当している森伸也さんは、たぶんほとんどの読者の皆さんと同じく、彼を「ゼファー」と呼ぶ。ただし、その名前を
呼ぶのがむなしくなる時があるのだ。「集牧のときなんか、「ゼファー!』って呼ぶと、パッと顔を上げて、『お、来たな』って感じでトコトコと寄ってきてくれるんです。入り口で待ってればいいんで、ホントに楽なんですよ。でも、その時間帯以外に放牧地を通りかかって呼んでも、ちらっと顔を見るだけだったり、ひどいときはシカトするだけで、来ないんです。ファンの方が来た時、はるか遠くにいたんで、なんとか近くで見てもらおうと思って「ゼファー、ゼファーっ!」て叫んだんですが、全然来てくれないんですよ。ファンの手前もあって、「僕の担当馬なのに:·…」って、ちょっと寂しかったですね(苦笑)」せっかく、森さんがファンのためにとわざわざ呼んだのに来てくれないとは、ゼファーはちょっぴりクールなヤツのようだ。でも、クールなだけではない、こんな一面もあるという。「そのくせ、僕が担当しているもう1頭のヒシアリダーを先に入れようとして引いてると、エライ形相で駆け寄ってきて、アリダーのケツに噛みつこうとするんです。『何でオレが先じゃないんだ(怒)』つて顔で(笑)。もちろん、間に牧柵がありますから噛めませんが、アリダーが怯えてよけるくらいの勢いなんです。よ。今はもう2頭の放牧地が離れてるんで、どっちを先に入れても大丈夫ですが」これは、明らかにヤキモチだ。その証拠に、森さんが他のスタッフの担当馬を引いているのを見ても平然と草を食べているというのだから、まず間違いないだろう。実際、撮影のために放牧地を訪れても、まるで無関心。いや、誰か知らない人間がやってきたというのは認識しており、チラッと見上げるのだが、だからといって近くには来ないのだ。呼べども叫べども来てくれなかった時のファンの方の気持ち、森さんの気持ちを思うと、気の森やらおかしいやらで、失礼だとは思うのだが笑ってしまった。種付けの様子はどうだろう。「身体が小さいですから、よけいに大柄な牝馬に付けることが多いんですが、まずはゼファーの脚元に畳を1枚敷いてみて、それでもダメなら、今度は牝馬の前脚側に敷いて、牝馬のお尻を下げさせるんです。
なるほど、牝馬の重心を下げて、しかもお尻もちょっと下がる、いい方法だ。でも、2頭の敷いている畳とその姿勢を想像するとやっぱりちょっと笑えるかも……。『お仕事なんだから、とにかく行くぞーつ』って感じで(笑)ガンガン行きます。早いし、上手ですよ。」と森さん。クールでヤキモチ焼きだが、さすがにベテラン種牡馬、お仕事はプロフェッショナルなのだった。

カッティングエッジの引退後

●カッティングエッジの引退後

バトルラインの取材を終え、カッティングエッジの取材のために場内を移動する途中、お話してくれる繁殖担当者の煎村なお子さんと遭
遇。重村さんはなんと馬上の人。松尾さんに事情を伺うと、BRFのスタッフは事務系のスタッフまで含め、ほとんどの人が調教を付けるの
だと教えられ、納得、そして感心した。頂村さんの手が空くまで、撮影をさせてもらうことに。広大で、しかも実に美しい放牧地に案内されたが、1組の母子しかいない。それがカッティングエッジ爵子だった。 続きを読む »

エムアイブランの引退後

●エムアイブランの引退後

「いつもだったら、プランは放すとすぐにぶっ飛んでいくのに、今日はそうでもないな(笑)」エムアイプランを放牧後、新冠農業協同紺合畜産センターのベテランスタッフが笑った。朝の種付が終わり、放牧される時間を取材時間として指定してくれたのは、美しいブランの馬体が、大好きな泥遊びで汚れないうちに撮影させてあげようとの、八木場長のご好意なのだ。ブランは、放牧直後に走るだけではなく、すぐに砂浴ぴ場に寝転がって、せっかくの白い被毛を泥だらけにするのがH課らしい。 続きを読む »

バトルラインの引退後

●バトルラインの引退後

バトルラインはビッグレッドファーム•明和(以降BRFUJI)に繋投されている。ここに種牡馬厩舎が新設されるまでは、種牡馬たちはBRF浦和に繋投されていたので、見学の際は注意。さっそく、種牡馬担当の松尾邦宏さんに案内してもらった。筆者はBRF明和を訪れるのは初めてだ。種牡馬用の厩舎はまるでヨーロッパの写真集に登場するように、シックで可愛らしい。その先のスロープを降りていくと、バトルラインはじめ、種牡馬たちの放牧地がある。『バト』 か、「バトル」つて呼んでます。呼んで来ることもあれば、来ないこともありますね。ラヴもマックスも呼べば必ず来るし、特にラヴなんか走ってくるんでカワイイですよ(笑)」そういえば、以前の繋養先に取材に行った際、呼んでも全然来てくれなかったのを思い出した。自分の気が向かないとダメなタイプなのかも。でも、案に相述して、すぐに寄ってきてくれ、ひと安心。ただし、全身の写真を撮ろうとして移動すると、レンズを覗き込むような、首を低くした姿勢でノソノソと寄ってきてしまう。相変わらずくつきり割れたお尻の筋肉も、胸前の筋肉もムキムキで、毛ヅヤもピッカピカなため、ボーっとして人の(馬の)良さそうな顔とあいまって、オジサンぽいボディービルダーみたいに見える。 続きを読む »

ステイゴールドとテイエムオペラオーと他の引退後

●ステイコールドの引退後

ステイゴールドの種牡馬としての人気の高さは、初年度の種牡馬展示会ですでに見て取れた。プリーダーズスタリオン・ステーション(以降Bss)には報道陣やファンを含め、例年を大幅に上回る人垣ができたからだ。そのフィーバーぶりがダテではなかったことは、日高地区でナンバーワンとなる177頭という種付け実績が示している。BSS場長で、ステイゴールドの担当者でもある常本建輔さんに、2シーズン目を迎えたステイの近況をうかがった。「2年Hの種付け頭数は大きく減るのが普通ですが、6月18H現在で114頭。最終的には120頭を超えるのではないかと思います。数の多さを心配されるかもしれませんが、ステイはバテるどころかますます元気ですよ(笑)」確かに、今のステイを見ると、黒鹿毛の色艶の良さが体力と気力の充実を物語っている。繁殖牝馬の質を維持するため、種付料は据え箇かれたが、相変わらずの人気ぶりは、生まれた産駒の評価が後押しした結果だろう。現役時代は420キロ台がベストの「小さな巨人」だった。「あまり大きくしないで」というファンの声に応えているわけではないが、現在も470キロ程度。一回り大きくなったと感じさせるものの、しなやかな素軽いイメージはそのままだ。「小柄な種牡馬にとっては、馬格のある繁殖牝馬との交配は難事なのですが、ステイはそれもソツなくこなす。そうした点からも優れた種牡馬だといえるでしょう」昨夏はファンの多さにも驚かされたという。BSSの見学開始は8月15日で、7月中旬から下旬にかけて解禁となる他のスタリオンより遅い。そのせいか、待ちかねたファンが5 00名を超えたBもあり、駐車スペースの確保や人の誘消に苦労した。「人気があることはわかっていましたが5
00人とはね……。ただ、ステイは玄人好みというか、見学の心得をわきまえたファンがほとんどなので特に心配はしていません」昨シーズン、ステイが牽引役となったBSSは1036頭という史上最多の種付け頭数を記録。今年もその勢いを維持し、6月半ばで1000頭を突破した。期待の新種牡馬エアシャカールを失うという不幸はあったが、サッカーボーイやアフリートらの大御所も健在だ。ちなみに今期のトップは140頭超のブラックタキシードになりそうだ。「1000頭は超えましたが、総数ではどうなるか。平均種付頭数ではトップを維持できるでしょう」BSSへ来て8シーズン目を迎える常本場長が見たステイはどんな馬か語ってもらった。「自己主張の強い馬だけど、自分をコントロールすることを知っている。来シーズンはビッグレッドファームで供用される予定ですが、種牡馬として必ず成功すると思います」今年の夏以降に移動の予定だが、詳細は決まっていない。見学希望者は、紐成走馬のふるさと案内所に問い合わせた方がいいだろう。

●テイエムオベラオーのその後

種牡馬としての最初のシーズンを浦河のイーストスタッドで過ごしたテイエムオペラオーが、HBA門別種馬場へ移って来たのは2002年10月8日。距離にしておよそ150キロ、2時間足らずの旅だ。7つのGIを制した”最強馬”にとっても久々の旅だったが、さすがに動じることはない。担当の増田誠一郎さんの手をわずらわせることもなく、新しい環境にもすぐに慣れた。「さすがに走った馬らしく、頭がよくて余計な手間はほとんどかけさせない。自分の役割もよくわかっているし、人間にはびっくりするほど大人しくて俊しい」初年度産駒が続々と誕生し始めた。最初の産駒は涌河の辻牧場で1月27日に生まれた。けベイダーは災国生まれで、その父はグリーンデザート。予定Hより早い出産だったが、均整がとれた馬体で、歩様もきれいな鹿毛の牝馬だ。2月21日の新種牡馬展示会では新入厩のオペラオーも初供用馬らとともに展示された。駆けつけた竹園正継オーナーが生まれている産駒の良さを紹介し、種牡馬2シーズンHが本格的にスタートした。一方、オペラオーの生まれ故郷、浦河の杵臼牧場では3月11日、タクリーム(父ミスタープロスペクター)が牡馬を生んだ。栂のイトコにシングスピール、叔屈にグロリアスソングがいる世界的な良血馬だ。翌12Hにはその誕生を祝うかのように、マルカセンリョウ(父ラムタラ)が名古屋大賞典を快勝した。杵臼牧場にとって1年5ヶ月ぶりの囲賞制覇となったのである。昨シーズンの種付け実紹は98頭。シンジケート種牡馬と一概には比較できないが、実組に見合う数は集めたといえるだろう。とはいえ、どんな種牡馬も2年目は減るもので、今年は6月17H現在で66頭。竹園オーナーの持ち馬では、テイエムオーシャンの半妹テイエムアゲシオ(父フォーティナイナー)とのカップリングに期待がかかる。現役時代の最高馬体亜は引退間際の480キロ。体の線の美しいステイヤー体型だったが、その本質は種牡馬らしい体つきになった今でも変わらず、放牧地で悠然と草を食む馬体からは、天性のしなやかさと柔らかさが感じられる。競走馬としての闘争心は深く影を潜めたが、穏やかさのなかに芯の強さが残り、どこかピンと張り詰めた気配がある。4月、2003年度顕彰馬選出記者投票の結果がJRAから発表された。オペラオーは最多の105栗を獲得したものの、選出基準(154名の4分の311116累)に満たず、チャンスを逸した。あれほどの成績を上げた馬にこのうえ求められるのは、種牡馬としての資質、実績、そして結果ということだろうか。浦河から門別へ。わずか1年でのスタリオン移動は異例の措岡だが、これも”最強馬“の血を日高に浸透させるための手段のひとつ。オペラオーの第2幕は、まだ始まったばかりなのだから。

●アメリカンボスの引退後

馬連4万8650円を演出した有馬記念から1年。通算3度目の挑戦となった有馬記念がアメリカンボスの最後のレースとなった。暮れも押し迫った288にHBA門別種馬場へ人厩。先輩に「アドマイヤボス」がいる関係で、種馬場での呼び名は「アメボス」に落ち着いた。担当する針生剛さんの印象は「やりやすい馬」。馬同士ではキツいが、総じて大人しいそうだ。新たに6頭の供用馬を迎え入れたHBA門別種馬場は2月21日に展示会を開催。アメボスのオーナー、畦韮英雄さんも駆けつけて来場者に挨拶し、愛馬の門出を見届けた。種牡馬デビューは直後の268。そうそうたる先輩種牡馬たちに先立って、スタリオン内で最も早い”初仕プロスペクターx名牝ミェスクの血は、生産者にとっては魅力的だ。山口幸敏場長は、馬体、血統、成績に加えて、「生後1ヶ月以内支払いで50万円という種付料の設定が人気の一因」と分析している。ごく一部の人気種牡馬を除けば、100万円以下が主流。お手ごろ感を誘う価格設定が種牡馬生命を左右する。放牧地では先輩ボスのアドマイヤボスと隣同士。年下の先輩は昨年137頭の牝馬を集めた人気種牡馬だが、アメボスはそんなことはおかまいなし。牧柵の一部にかかった青いネットに食いついている。冬季の風よけのために張られたシートの一部らしいが、草を食む合間の格好の玩具になっている。アメボスは5歳春の中山記念から25レース続けて重賞に出走。GIには手が届かなかったが、一介のバイプレーヤーを超えた、存在感のある「記憶に残る馬」だった。なかでも有馬記念2着の印象が強烈だが、40戦すべてで手綱を取った江田照男騎手はレース後、「どうせなら2着より1着の方がいいんだけどね」とコメント。このぐらい走っても不思議はないという感触を持っていたのだろう。針生さんは、「父を超えるような成紹を残せる馬が出るといいね。コンスタントに走る馬がいい」と言うが、果たしてアメボスの仔は堅実派なのか一発屋なのか。いずれにしてもデビューが待ち遠しい限りだ。

マヤノトップガンとマーベラスサンデー他の引退後

●マヤノトップガンの引退後

何度も馬を見ていると、その馬の行動パターンやキャラクターが飲み込めてくるものだ。マヤノトップガンの場合、キーワードは「マイペース」。誰が米ても、ちらっと横目で見るだけで、顔も上げない。まして、近付いてくることはなかった。
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ナリタトップロードとグラスワンダーの引退後

●ナリタトップロードの引退後

『ナリタトップロード路上にて』という本で、現役時代のトップロードについては、今まで他の人間では触れられなかったことまで知ることができた。数々の買重なエピソードが語るのは、彼がいかに多くの人に深く愛されたかということだ。 続きを読む »